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希望のないところに絶望はない ※ただしイケメンに限る


 ※ただしイケメンに限るというのは、いつの間にやら流行りだした言葉ですが、どうもこれを使った単発ネタお披露目サイトができたようです。

 それがこちら。ネタサイト。
 ※ただしイケメンに限る

 投稿数が多すぎて把握できませんが、適当に見ていくと結構面白いですよ。


 しかし、絶望ですか。

 いや、このサイトの話ではないんですが、絶望って難しいんですよね。関心のないことにはそもそも絶望しませんし、ありもしない可能性を見て絶望するということもありません。
 なんというかな、できそうでできないからこそ絶望がある、とでも言いますか。

 身体能力の問題からプロの野球選手になれない、という事実で絶望する人ってあんまりいませんよね。それこそ、それで絶望するのはプロの野球選手を目指している人ぐらいでしょう。
 客観的、普遍的絶望というものが存在しないことは当然として、主観の希望が絶望に入れ替わる瞬間はどこにあるのか。

 で、うだうだと考えたところ、希望と絶望の間には栓があるんだという結論に達しました。

 砂時計あるでしょう、あれの真ん中に栓がある感じ。砂時計の形をしていて、上は開いてる。そこで、上から希望という名の砂を流し込む。栓が重さに耐えきれなくなって下の段に砂が流れこんだとき絶望になるんじゃなかろうかと。希望が重すぎるから絶望になるわけですよ。希望の重さがそのまま絶望に変化する。
 というのも、これが今回の記事のタイトルに関わってくるんですが、そもそも期待していないと絶望なんてものはありません。そして、非常に厄介なことに、期待というものはその事柄に関われば関わるほど増長するものです。関わる期間が長いほど「そろそろ報われるはず……」と強く思うようになる、と言ったほうがわかりやすいですかね。ところでそろそろroto6の一等が当たっても良いと思うんですが
 つまり絶望への適切な対策は、そもそも希望を流し込まないことか、砂時計の底を切り取ることかだと思います。前者はなかなかに難しいでしょうから、どっちかというと後者のほうが現実的でしょうね。後者は、具体的に言うと希望を希望のまま拡散させること。一つのことに捕らわれないことです。いろんな可能性を見ること。いまの期待に掛けたものをそのまま繋げられるものでもいいし、まったく関係ないものでもいい。
 なにも世界を救えないことに対する絶望ってわけではないんですから、ひゃっほーいと砂を投げ捨ててしまうのはあまりにもったいないですね。



 それはともかく、美少女の同居人が欲しいです。※ただし二次元に限る

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