スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

俺の妹がこんなに可愛いわけがない――あなたは、偶然の敵を作ってはならない――

 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』 著:伏見つかさ イラスト:かんざきひろ
 出版:電撃文庫 属性:実妹らしくない実妹


 私の好きな作家にアルフレッド・ベスターというSF作家がいるんですよ。SFが好きな方なら知らないということはおそらくないでしょう。
 寡作な作家だったということもありますので、さほど作品は多くないんですが、この作家の『分解された男』という作品の序盤で、「敵は選んで作れ、偶然に敵を作るな」と主人公(と明確にいってしまって良いものかどうか迷うところですが、とりあえずそういうことで)が自分に言い聞かせるんですよね。それは、この作品における主人公が先代から受け継いできた心構えのようなものだとは思うんですが、主人公はそれを見事にやっているんですよ。ひとつの企業のトップという立場でありながら。
 まあ、とにかくそうただつぶやくシーンが非常に印象的でした。主人公はその後、自ら設定した“敵”たちとすべてを賭して戦うわけですが、それは作品本編で。

 さて、実際、私たちが生きていく上で、敵を選択するということは可能だと思いますか? たとえば、対戦ゲームで敵を設定するかのように、確実に。
 常識的、一般的な見地から考えて、これは不可能でしょう。どれだけ素晴らしい人間であっても憎まれることはありますし、どれだけ最低な人間であっても好意を向けられることはあります。無論、立証や統計があるわけではありません。かといって、べつに私が一般的な範囲以上で人付き合いを持っていて、その経験から言っているのだ、というわけでもありません。
 それでも、こうして断言できるのは、つまり、人間は誰しも自分を客観視できないからです。いや、哲学的な意味ではなく、ただ単純な意味です。
 よく人との折衝の理由として『価値観の違い』が持ち出されますが、それはいよいよ最後、ほんのささいな後押しにしか過ぎないわけですよ。価値観がすれ違うよりも前に、決定的に、敵味方との境界線は出来上がっています。
 その境界線を引くのが、自分像です。カテゴリや属性、立場、まあどんな言い方でも良いですけど、その人を表現する為の分類です。この自分像を客観視できないからこそ、人は簡単に敵を自分から見えないところに作るわけです。味方も、ですけどね。ここですべては決まっています。

 この作品の本文中で、エロゲやアニメのオタクをもっとも嫌うのは垢抜けた女子中学生だ、という意味不明な言葉がありましたが、意味不明云々はさておき、こういった表現や、主人公である京介の目を通して、エロゲオタクでありながら学校では優秀な妹を見る、という図。ここで、先に述べた境界線がはっきり見えています。互いが相手の価値観を知るよりも先に、そこには敵味方という構図があったんです。
 主人公はその境界線を俯瞰する役割を担うわけですが、やはり主人公は自分のことを見ることができないわけです。平凡が好きだのなんだのと言い聞かせてはいますがね。この辺りは主人公の立場を中立にするためにあえて狙ってやっているんでしょうけど、この主人公、とても人間とは思えないステルス性能を備えています。立場がどうこうとか性格がどうこうというレベルではなく、異様なほどの一貫性の無さ。流されやすいというレベルじゃありません。天才的なカメレオン性質をもつ人間といっても過言ではないでしょう。この主人公なら、ファンタジー世界に投げ出されてもものの一分と経たずにファンタジー世界に溶け込めると思います。
 その主人公がエロゲオタクでアニメオタクである妹の背中を追いかけていくうちに、あんまり身を乗り出してしまって、とくにこれといった意図もなく妹の背中を押した形になってしまう、そんな感じに話が進んで、そして収まることのないまま話は広がってきます。やがて、主人公は妹が持つ境界線の場所と意味を見出し、兄としてそこに足を踏み入れるわけです。そして、妹と敵との間で仁王立ちしてみせようとするわけですよ。素直な話です。
 ――とはいえ、過去エントリで書いたAURA~魔竜院光牙の最後の闘い~を読んだ後でこの作品を読むのは、かなり無理があります。正直私はAURA以下略ですらちょっと薄味かなと思ったんですが(こういうのはあれですが、田中ロミオだから、という大きな期待を私が抱いていたのは否定できません)、今回取り上げたこの作品は、AURA以下略とは比較にならないぐらい薄味でした。
 他にもぐだぐだと細かいことを語りたいですが、しおりちゃんが蹴り飛ばされてしまったので抑えておきます。
 というか、

  抱きしめる
  布団をかぶせる
 →蹴り飛ばす

 のシーンは本当に面白かった。吹き出しました。コーヒーを飲んでたらきっと私は今頃抗議文を書いていたことでしょう。しかし、むしろそこ以外はなにがなんだかぺペロンチーノでした。マナケミア2は楽しかった(忘れたころの宣伝PART1)

 ……あれ、なにか手放しで褒めることを書くつもりだったのに。いざ、こう書いていると、さっぱり浮かびません。どうしましょう。
 えー、女子中学生、エロゲ、しおりちゃん、という単語に引っかかりを覚える人は読むしかないでしょう。私はその間、『星くず・うぃっち メルル』のスピンアウトでも待つことにします。

(8月11日 ところで、この作品で、ちょっとこれは、と思ったところを。
 まず、妹の礼儀知らずな部分。可愛げがない、というレベルじゃなく、躾がなっていないというレベル。まあ、年齢に応じさせた態度なのかもしれませんが。設定上で厳格な父親が、娘の言動を平然と許すとは思えないんですが……どうなんでしょう。
 次に、主人公の妹に対する意識の中で、妹との関係に過去との連続性がまったく見えないこと。即席の兄妹という感覚のような気がしてならない。それこそ、一年前から兄になりました! というような。実は義妹で、つい最近兄妹になったという設定のように思えてしまう。それぐらい浮いてます。三つ違いといったら小学生時代や主人公が中学生をやっているときなんかの関係性も少なくないはずなのに。ついでにいえば、二人はいつから部屋が別々なのか、とか、そういう環境から生まれる兄妹関係がまったく空白に見えるんですよ。幼なじみとの関係も同様。
 最後に。妹は、エロゲをなんにもわかっちゃいねえ(そもそもわかっちゃ駄目なんですが。というか倫理的にこれは問題ないんでしょうかね。こういう設定は止めた方が良いと思うんですが))
スポンサーサイト

trackback

comment

コメントする

Secret


自作品

Twitter

blog ranking

ブログランキングに参加中

プロフィール

かささぎ(ビー玉仕様)

Author:かささぎ(ビー玉仕様)
No Image & No future

月別アーカイブ

ただいまの階層は、

ブログ内検索


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。