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鋼橋が役目を終える日



 招き猫ってあるじゃないですか。小判を持って、空いた手でおいでおいでをしている猫の置き物。あれって、何猫をモデルにしているんでしょうかね。ウィキペディアには由来やらなんやらの考察については触れていたのに、その点に関しては書かれていなかったんですよ。
 まあ、猫のイメージをデフォルメしただけなのかもしれませんけど、それにしても招き猫の顔って不思議な感じなんですよね。猫好きな私があまり好きにはなれないような顔をしていますし。どうしてでしょう。
 ところで、その招き猫。ウィキペディアでこんな外部リンクが張られていました。
 招き猫美術館。こんな建物があるんですね。岡山にあるということで。
 機会があれば行ってみたいものです。ご利益もありそうですからね。

 さて、少しばかり話が飛びます。招き猫を見ていたら思うところがありましてので、軽く。
 物は壊れる、とはよく聞く言葉だとは思いますが、人の寿命より長生きする物などいくらでもあります。そこら辺の公園のベンチだって、百年ぐらい保つ可能性は十分にあるんですよ。
 しかし、その公園の近くに新しい公園ができて、そこに立派なベンチが置かれたりしたら、古い公園は更地にされ、古いベンチは撤去されることになるでしょう。その後、古い公園でベンチだったものがどうなるのか。私はその行く末を知りませんが、それこそ「二度と彼の姿を見たものは無かった」となっていてもなんらおかしくない。もちろん、他の場所に移動するだけの可能性もあります。
 どちらにせよ、私は、そのベンチはひとつの役目を終えたことになると思うんですよ。
 それは他者に必要とされるかどうかではなく、本来、その物が最初から持っていた意義として。このベンチで言うなら、とある公園で人が休める場を提供すること。言ってしまえば、そこにあるのが、ベンチでなくても良かったわけです。意義が果たせるなら。それでも、そのベンチは公園に設置されていたわけで、人が休める場を提供し続けてきたわけです。
 物などいくらでも代替できる、壊れたら新しいものを、という考えが正しいとは思いません。しかし、物に愛着を覚えるあまり、その物を欲しいと、必要だと思った理由を失うことほど困った事態はないでしょう。人間と違って、物は生まれたときから求められていたわけですから、いつか壊れるということは同情されるようなことではなく、また、嘲笑されるようなことでもないんですよ。

 それにしても、エロゲが積み重ねられていたら「ここが地雷原か!」と突入したくなりますが、私の言葉はいくら積み重ねても胡散臭く見えますね。どうしましょう。

(5月30日 マナケミア2のクロエはちょっとあれです。戦闘勝利時とか酷い。「…雑魚が」とかどうしようかと思いましたよ、本当)
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