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ベーシック・インカムはなぜ成り立たないか

ベーシックインカムとは、一社会集団を構成するあらゆる人に対して、要件を問わず、一律の所得を個人に給付する制度である。
つまり、賃金労働に従事せずとも、生きていくために必要な金銭を皆がもらえるというのだ。

この文面だけではいかにも夢物語であるように感じられるかもしれない。私自身、そう思っていた。しかし、この本を読んで、私の中の印象は大きく変化した。

このベーシックインカムが担っている役割とは、人をただ生かすことではない。
有り体に言ってしまえば、過剰な労働力を抑制することで不要な生産を改めるという、社会全体の効率化にある。

過剰な労働、不要な生産。現代社会において、この言葉に心当たりのある人は、そう少なくないはずだ。
身近なところでは飲食業界。建設業界。製造業界。いわゆる『人手不足』を訴えている業界は、そのすべての生産が、不要な生産の為に行われている。
そもそも、なぜ不要な生産が行われるのか。それは、生産がもともと何のために行われてきたのかを考えればわかる。かつて、生産とは生活を豊かにするためにあった。
しかし、現代において生産とは、利益を出し、その利益をもってさらなる生産、さらなる利益を重ねるための手段だ。
それが数字の上だけで行われるのであれば、まったくもって問題はない。しかし、生産には労働力が必要である。
現在、ロボットだけであらゆる生産工程を可能としている製造工場なども存在するようだが、基本的には、労働力といえば人間である。

上記にあげた業界の運営において、数字だけが膨れあがっていき、業界は一人、次に二人、四人、八人……と必要とする労働力を鼠算式に増やしていく。しかし、誰もが知っている通り、人間の数は有限なのだ。2014年現在、産業の複雑化、散逸化が進み、さらにそれぞれの業界が多くの労働力を必要とするようになった今、これまでの利益を使ってその営業規模を大きくし、多大な労働力を必要とせざるを得なくなった彼らが行きづまるのは当然である。

少子高齢化もいよいよ重大な問題となり、2014/04/15、総務省発表において、日本の生産年齢人口が八千万を割ったというニュースも流れた。これから労働力は減る一方になっていくだろう。

そこで、移民受け入れという話が出てくる。
現首相である、安倍晋三首相が「受け入れの是非を検討すべき」と意見を述べたことは記憶に新しい。とっさに反発を覚えた人は少なくないだろうし、かく言う私も治安悪化の懸念を覚えた。
話を戻そう。労働力という一面において、移民政策はどうだろうか。日本という一国家が保有する労働力は限界に達してしまった。不足分を、外から持ってこようという。なるほど、いたって単純だが、真っ当な方法だ。

しかし、一歩踏みこんで考えてみると、その歪さがよくわかる。

そもそも日本の労働力が足りなくなったのはなぜか。
「少子高齢化があれほど叫ばれているのだから、それが原因なのだろう。一夫多妻制をとっとと成立させて子供をばんばん作らせろ! 俺は作る気ないけど」と思う人はいるかもしれない。日本の生産年齢人口がピークだったのは1995年であり、それ以降減り続けている。今年に至っては、32年ぶりの八千万人割れ。
ここで論点になるのは『こうなることは、誰にでも予測できたことだった』という点だ。人口と生産年齢人口は政府が公開している情報なのだから、企業だけではなく、経済活動に従事しない一市民でさえも、その好奇心を刺激しておけば知ることができた事実なのだ。
生産年齢人口に数えられるのは15~64歳の人間である。つまり2014年の生産年齢人口は、1999年までの新生児の数を把握していれば、誰にでもわかることだったのだ。わかっていたにも関わらず、その生産規模を調整することなく、多大な労働力を必要とする形態を改めなかったことが大きな問題なのである。
“少子高齢化は労働力不足の決定的要因ではない”。これは疑いようがない。

では彼らは、労働力不足を訴え(あるいは架空の生産目的まで用意して)、移民までをも確保し、なにをしようというのか? 当然、生産である。もっと言ってしまえば、これまでの不要な生産よりもさらに大きな規模の、不要な生産である。
彼ら(業界)は利益を求めてその不要な生産を行うはずなのだが、不要な生産とはすなわち消費を超えた生産であり、利益率の増加が見込めない生産なのである。
ああ、なんということだろう、哀れにも、彼らはその目にドル記号を映しながら、一昼夜を彼ら自身の信仰と共に過ごすのだ。無限の成長という名の信仰と共に! 彼らの正気を保証してくれる方がいるのなら、ぜひ私にご一報いただきたい。私に残るかすかな善意をかき集め、メンタルクリニックまで案内して差し上げよう。

さて。こういった諸問題を抑制し、労働力と生産が正しく運用されたとして、社会的な効率化を行う段階に入ろう。

これこそ、単純な話だ。人間が生きるため、そしてその欲求をもって必要とする労働というものと改めて向きあう、という話なのだ。

女性において、出産・育児、そして家事も、立派な労働になる。
一時期、専業主婦の仕事を年収で換算すれば、などという言葉がどこからともなく流れてきたが、たしかに家事を外注すると考えたとき、そこに賃金は発生するし、労働と考えることは間違いではない。次に出産・育児、言い方は悪いかもしれないが、子供という生産物を労働力にまで仕上げる、という言葉にすれば、この価値を疑う人はいないだろう。次世代の労働力を用意するという労働だ。
男性においては(家事を生業とする男性もいるかもしれないが)、警備や物の運搬、設置などが入るだろうか。インターネット上で自宅警備などと揶揄(自虐)することがあるが、しかし、警備会社との契約を考えてみれば、これも立派な労働だと呼べるはずだ。物の運搬、設置についても語るまでもないだろう。

しかし、こうして例を挙げてみたものの「馬鹿なことを言うな」という声が聞こえてきそうでならない。そんなものは労働でもなんでもない、と。

では逆にお聞きしたい、なぜこれらは労働ではないのか?

おそらく、多くの人が「そこに賃金収入がないから」と答えるのではないだろうかと思う。現代社会において、ボランティアが労働と呼ばれないのも、すなわちそこに金銭が絡まないからだ。

しかし、理由が正しくその一点に限るのであれば、やはりこれらは労働足り得る。

ベーシックインカム、すなわち基本最低所得とは『人の生命活動』、また“個人が不便なく生きるうえで、その人自身が必要とする生産”に支払われる賃金なのだ。
ベーシックインカムは、現代の年金制度や生活保護のような社会保障ではなく、これそのものが独立した所得なのである。

これは、ベーシックインカムを考えるときに、重要なポイントとなる。

万が一、このレビューを見て、この本を読もうと思うような奇特な方がいらっしゃるなら、念頭に置いておくと良いかもしれない。もちろん、奇特でない方にも本はオススメできる。本は。


この本は、ベーシックインカムとはどういったものなのか。基本最低所得として過去の為政者に求められた歴史的背景から、現在に求められる在り方に至るまでを非常にわかりやすく説明してある。
現在、スイスではベーシックインカムが導入され、アメリカや欧州の一部では議論が始まっているらしい。

日本では、議論の俎上にあがるまでにしばらくの歳月を要するかもしれないが、知識として得ておくに越したことはないだろう。


最後に、ベーシックインカムを語るうえで当然出るであろう疑問について、私なりに答えてみようと思う。


Q.具体的な金額は?
A.生活モデルが必要になります。現在の最低賃金のような、胡乱な測りではなく(そもそも最低賃金の地域格差ほど不平等なものはない)、衣食住にそれぞれの金額を設定したうえで導き出さなければいけません。この中で、金額としてももっとも基準にしやすいのが住なので、住に全国一律のモデルを設定したうえで、住:食:衣:他=3:2:2:2程度(住が三万円となったとき、給付額は十万)が望ましいのではないでしょうか。

Q.財源は?
A.某社長曰く「不可能というのは嘘つきの言葉」らしいので、彼を宇宙に放り出して、他惑星から純金を掘り出す仕事をやってもらいましょう。スペース出稼ぎ。働くことがハッピーらしいので無償でやってくれることは間違いありません。
 まあそれはさておき。年金や生活保護の調整という考え方もありますが、私的にはスマートではない。生活保護はまあ代替できるから良いとしても、年金に関しては、いきなり返金とするのも具合が悪く、崩すのも当然、社会的な信用という意味で好ましくないでしょう。
 雇用保険や児童手当、先にあげた生活保護の解体(在日の受給者については『在日保護』として支給。ただしベーシックインカム以下に設定)。医療負担は難病、その他特殊治療に関しての補助は据え置きで、一般の医療費を五割負担程度に。所得税、法人税&法人住民税アップ、住民税アップ。消費税は20%(可能なら15%)。これでなんとかいけないかな。足りないぶんは相続税&固定資産税、といいたいところですけどこの辺りは調整が難しそうですね。ベーシックインカムはあくまで効率化なので、資産を奪うところまで均すと不公平感がでますからね。とりあえず、あとは経済に詳しい人に任せます。

Q.日本にいるなら誰でも? 在日外国人でも?
A.日本の選挙権を有する人だけ、にすればいいんじゃないかと私は考えています。ベーシックインカムはその性質上、政治に大きな影響をもたらします。なので当然、選挙権を持つ人は、いままでのように政治に対して無知蒙昧でいることを良しとしてはいけません。学んでください、参加してください。私の個人的な考えでは、選挙の投票を完全な義務の労働としてしまっても良いと思うぐらい。つまり、ベーシックインカムの給付をもらうために選挙で投票してくださいね、という。一回二回ならともかく、複数回、正当な理由なく欠席ならベーシックインカム給付の一時停止という措置を行ったり……まあ、「それはベーシックインカムの理念に反する」と言われれば反論のしようがありませんが。あくまでこれは私の希望として、そういう形にしたほうがいいんじゃないかなという程度の考えです。
また、禁固以上の刑に服している場合は、大幅減額で。少年院についても、同様の措置を期間限定で行うと良いでしょう。ちょっと話はズレますが、ベーシックインカムの減額というのが犯罪の抑止力になるかもしれません。子供のしつけにも身が入るでしょうし。

Q.労働意欲がなくなって、最低限必要な生産すら行われなくなるのでは?
A.なくなりません。自分の生活を守るということは、不便を感じないように労働するということです。あなたは、あなたが不便を感じないために、なにかしらの労働を行います。
また、生産が効率化されるということは、必要とされる労働力が限定されるということであり、ベーシックインカム以上の収入を求める人は、例外なく『必要な生産』を行えることになります。それでも労働力が足りないのであれば、移民を使うなり、待遇を見直すなり、それぞれの業界、企業に応じたやり方を取れば良いのではないでしょうか。

Q.個人単位にした場合、監禁や拉致などの犯罪に悪用される危険があるのでは?
A.一月毎に、本人でないと手続きできないような仕組みを作る必要があります。これは犯罪に限らず、身元保証のためにもあったほうが良いでしょう。不慮の事故もありますし。

Q.子供にも渡すの? 「お年玉はママがあずかっとくね(パチンコ屋直行)」みたいなことになるのでは?
A.これは非常に難しい問題。実際、子供の判断能力が乏しい以上、親が子供の金を管理したほうが良い状況というのは少なからず存在するので、一概にどうすれば良いとは言えない。十五歳以上の子供に対しては、本人が手続きを行うようにするということで良いかもしれません。

Q.ぶっちゃけ、実現可能だと思う?
A.ネコ型ロボットに任せましょう。

以上。



『ベーシック・インカム入門』について、ブクログにこんなレビューを昨日書いた。

が、はっきり言って、このレビューは著書に即した文章でしかない。

なので、私見と偏見と花粉に対する苛立ちを込めて、もう少しこの題目に踏みこんでみようと思う。

 

ベーシック・インカムが成立したら他国はどう動くか、という話。



 

○日本がベーシック・インカムを施行したとき、世界情勢に砂嵐が巻きあがる。視界不良。

先のレビューにある通り、私の考えではベーシックインカム(以下BI)は社会保障とは根が異なる基盤の底上げなので、既存の社会保障の一部、あるいは新しい社会保障(こんなことを考える政治家がいるかはわからないが、BIはその制度上、公債と相性が良い。賃金労働にある程度の見込みがある人を対象に、BIとして給付されるはずの1年分、あるいは5年分などの金額を前払いという形で直接公債購入にあてられるようになれば、購入者&国ともに良い取引ができる)と共存することができるものだ。

つまり、BIは日本国内において、多大な混乱を引き起こすものではない。

しかし、ここで問題になるのは他国の反応であり、日本の立ち位置だ。

BIとは、それが成立した時点で「おいお前ら、俺んとここれから金どんどん刷るからな、覚悟しとけよ^^」という宣言になる。この時点で、名前を口にするのも憚られる特定アジアさん達は発狂する。そのまま憤死していただければ大変ありがたいのだが、憎まれっ子世にはばかるとはよく言ったものである。

そして、一度立ちのぼった砂嵐は止まらない。
アメリカや東南アジアへの影響については、正直なところ、私の想像力ではなにが起きるのかはわからないが、どのような反応にしろ、それほど大きなものではないだろう。ただ、当然、アメリカはいつもの「仲良くやろうぜ(支払いはお前持ちでな!)」的な打診をしてくるはずだ。もっとも、これは両手に塩でも持って、快く振る舞ってやれば問題ない。


黙っていないのはEUと中東だろう。EUはいつものことだからどうでも良いとして、中東と日本は経済的、またおそらくは感情的な面においても、現在は良好な関係を築いている。

しかし、BIはその関係に暗雲を呼びこむ可能性がある。BIはその性質上、内に向けた働きかけであり、他国との取引を蔑ろにしているように見えてしまう。日本との今後の関係を見込んで、これまでさかんに取引を行ってきていた彼らが、BIが成立したとき失望を抱いてしまうことは十分に考えられる。

中東の日本への失望は、すぐには表面化しないだろうが、EUと中東との関係にこれまでよりも強固な橋を造ってしまうだろう。

日本の未来を考えれば、これは避けたい。EUがいま以上の発言力を得てしまうと、おそらくなにかしらの有事とまみえることになる。ロシアか中国か、まあその辺りを巻きこんで、さらには日本も引っ張りだされる危険がある。

これからの日本にとって、中東との連携は重要な課題である。経済的な都合はもとより、EUやアジアとの関係において『日本と中東との連携』は明確なアドバンテージとなるだろう。中東としても、EUのごたごたに巻きこまれるよりも、アジア、とくにこれまでに実績のある日本との関係は捨てるには惜しいものであるはずだ。
これはお互いにとって利益になることなので、現在の関係をより深めていくという形をとれば、なんの脈絡もなくふいになるということはないだろう。

この場では、BIを前に中東と緊密な友好関係を結んだと想定する。実際、現政権もそういう方向で動いてるので、想定としてそれほど大きく外れたものではないだろうと思う。

 

日本産の砂嵐が、地球をぐるっと一周してきた。

 

どこの国も思うところはあるだろうが、とりあえず反応はある程度おさまる。

EUは加盟国同士で集まって、仲良く殴り合いのケンカをしたり、ロシアを罵ったりと忙しく動き始める。

中国は「南京南京!」と叫びながら対日包囲網を築こうとするが誰も動かず、血眼になりながら国民への検閲をさらに強め、韓国は中国から無視されたことの怒りを日本に向けた。

この時点では、世はなべて事も無し。平常運転。

 

ただ、問題が起こらないというのは、あくまでこの時点での話にすぎない。

 

○砂嵐が通り過ぎた後……

さて。

幸運にも日本の新政策(BI)の出鼻がくじかれることはなかった。

一年後、いや、ここは二年後でも三年後でも構わない。いずれにしても結果は同じだ。

 

――第三次世界大戦の開幕。

 

主要国家は滅んだ。

 

 

なぜ、日本がBIを施行すると第三次世界大戦が勃発するのか?

日本が経済大国であることはいまさらここで話すことではない。

そこで生まれる問題は、世界各国にいる邦人(日本企業)の影響力と、歯止めとしての日本の影響力が弱まることだ。

 

日本はいま、戦時下にある――というと、首を傾げる人は多いだろうか。まあ、言いすぎではあるかもしれない。

だが、日本があることで抑えられている争いは、少なからず存在する。アメリカとロシア、アメリカと中国、北朝鮮と韓国。この辺りは当然として、インドと中国、ロシアと中国。中国が大活躍しており、まるで世界規模の病原体であるかのように思えるが、それは考えすぎというものだ。もっとアメーバ的ななにかである。

それに、仮に中国が滅んだとしても、戦争の火種は消えない。ここに挙げたのは、あくまで日本が直接抑えになっているというだけであって、遠因として日本が他の戦争を引き起こす可能性があるからだ。

 

BIの根本的な欠点、とでも言うべきかもしれないが、その性質上、BIで給付された所得は日本国内でその大半が消費として使われる必要がある。
BIは日本在住の日本人に対する所得であって、企業に与えられるものではないから、自然、日本で消費は行われることが多いだろうし、海外旅行や個人輸入などは計上するほどの影響はないだろう。
その点で、規制を行うほどではないはずだ。

BIは人材を日本国内に固定してしまい、また企業による海外進出意欲を減らす。これは労働意欲とは関係なく、数字の問題として、日本国内での営業のほうが利益が見込めるようになるからだ。

そうなってしまえば、あとはなし崩しで、日本は内需をもっとも利率の高い範囲まで拡大し、他国への影響力失っていくのと同時に、他国からの影響を失っていく。

やがて世界は、『アジアの日本』ではなく、日本を『日本』として見るようになり、日本がアジアに与えていた抑止力がなくなったとき、晴れて戦争開始というわけだ。

そんな単純な話があるかと言われてしまうかもしれないが、私がここで主張したいのはBIは至って内向きの政策である、ということなのだ。
限定的な鎖国とでも言ってしまえばいいだろうか。BIは、そういう性質を持っているのだ。

 

グローバル社会などと言われる現代だが、たかだか一国家がそんな政策を打ち出しただけで戦争にまで発展するだろうかという疑問に対しては、先ほど述べた、現在日本を取りまいている諸問題をその答えとしたい。

 

つまり、『現代社会においてBIは不可能』というわけではなく、『現代、現状の日本においてBIは不可能』だと私は考えている。

 

そしてそれは、日本だけでどうにかできることではなく、また、時間が経ったとしても解決される問題ではないということだ。

中国が「これから戦争はしません」と言いだしたところで一切信用ならないし、アメリカとロシアの確執が争いの種にならないことなど、決してないだろうから。

人類の歴史において、国家間の戦争はあらゆる条件下においても不可避のものである。

この事実がある以上、日本でBIは成立しない。

 

○最後に

ああ――しかし、これではあまりにも夢がない。

人の生存権とはなんだったのか? 基本的人権とは?

働けば死に、働かなくても死ぬ。

高度な医療が発達した現代で私たちの生き死にを握るのは金と運だ。どちらが欠けても死から腕を引き寄せられる。仕事に限りはあり、利益の為に賃金は低くなる。歳を取れば労働はできなくなる、そして若者が労働をしても生きるだけの金銭を得ることはできなくなりつつある。

生活保護の不正受給はあるのに、必要な人間には与えられない。いま払っている年金は紙切れとして戻ってくる可能性すらある。

現代日本のどこで、生存権が保証されているというのか――。

 

よろしい。では、仮に世界が一つの国家の下で成立したとしよう。人種も国境線も信仰も思想でさえも争いを引き起こさない、当然、命に関わる競争もない。

我らを見守るビッグブラザー改めビッグシスターは初音ミクでもいいし、鹿目まどかでも構わない。なんなら暁美ほむらだっていい。

強いAI(人工知能)が正しく政治を管理し、しかし、人々はその心までをも管理されるということはなく、やはりその世界においても葛藤や苦悩を抱えながら幸せを求めて生きていく。

かくして、人類に恒久的な繁栄が約束された。

 

さて、ではそろそろBIと、社会の効率化を行おう。

これならば、成功するだろう。疑う余地はない。私たちは最低所得保障と、有用な労働に従事することができるはずだ。

もっとも、このような世界にそんな制度が必要であるのか、という問題はあるが。

しかし、言ってしまえば、BIはそのような社会でなければ成立しないものなのだ。国家間のやり取りに影響を与える内向きの経済政策が孕んでいる問題はあまりに大きい。財源や仕組みなどという話は、国家間との関係性という問題から見れば非常にささいな問題でしかないように、私には思える。

 

ここまで書いてしまうと、私がただの悲観論者であるように思われるかもしれないが、私が言っているのは、あくまで最低取得保証(または負の所得税)という形だと成立しないだろうと考えているだけであって、人の生存権を守る政策そのものが実行不能だというわけではない。

ただ、そちらについては私の手にあまるので、優れた経済観をお持ちの方に期待したいと思う。

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銃声が聞こえてこない

なぜ東京では銃声がまったく聞こえないのか。一月に一回は聞こえないとおかしい。
これは私を油断させようとする、何者かの陰謀である。
いくら取り繕っても私はこの部屋から出んぞ!(錯乱)

 

○闇の住人はどこに潜んでいるのか

都道府県の犯罪発生番付によると、一位は大阪府、二位は愛知県、三位は福岡県。
日本でもっとも人口が多く、混沌としているはずの東京都はなんと七位。すばらしい、実にすばらしい。

私の中では、東京って地域は、夜になると銃声や爆発音が響く場所だったんですよ(妄想)
しかし、夜中に怒鳴り声や銃声が聞こえてくることもないし、爆音を撒き散らす珍走屋もいませんし、パトカーのサイレンもあんまり鳴りません。正直、夜が静かすぎて驚いた。音が夢の中にまで追いかけてくる九州北部の街とは大違いだ……。

そもそも、国家という括りならともかく、同国家内でこういう犯罪率の差がでるというのはとても不思議ですよね。
同じ法律が適用されるということは、どこで犯罪を犯しても同じだということなのに。

突発的な悪行を指して、魔が差したなんて言い方をしますね。もしかすると、倫理観の薄い人間が住んでいる区域の治安が悪いというわけではなく、魔なる者が住んでいる区域だから治安が悪いのかもしれません。

闇の住人はその数にこそ違いがあれど、いついかなるときでも私たちを狙っているのです(結論)

 

○犯罪の未来

「なぜ○○をしてはいけないのか」という問いに、「ならぬものはならぬ」あるいは「法で禁止されているから」という返答をすることがたびたびあると思います。

実際、人の自由意思と社会的(倫理的)禁忌との兼ね合いというものは非常に難しい問題で、哲学的命題とまでは言わずとも、思考を重ねていけばいくほどバランスが危ういものであることに気づくでしょう。

しかし、この問題、はたしていつまで続くでしょうかね。

先日、ウェアラブル端末のエントリを書きましたが、あの記事では触れなかったことの一つに、価値観の普遍化というものがあるんですよ。デバイスが行くところまで行って、その形態が単一化されたとき、情報の多様性が個人としての処理能力を超え、結果的にある一定の情報を得るというところで留まると思うんです。
共通項が大きくなると言えばいいのかな。ネットの使用方法や、よく利用しているサイトの如何を問わず、『日本からアクセスしている』という一点で、提示される情報が画一化されてしまうといったところ。まあ、画一化と言っても、その規模は一企業や国家に収まる範囲のものではありませんけれども。

そして、その情報は当然、私たちの価値観を変形させていきます。しかし、いくらウェアラブル端末が行き着くところまで行っても、これが即座に私たちから生活の雑事を奪うというわけではありません。
そこで、地域に根ざした生活と、人自身の価値観の乖離がはじまります。

現在でも地方に住んでいる人だと実感していることだと思うんですが、SNSやコンテンツの発信などの情報を見ていると、地方での感覚とのズレが出てくるんですよね。

標準の価値観というものを理解する一方で、自分の日常との照らし合わせが行われる。そのうちに、日常の不安定さが、動きの少ない価値観によって呑みこまされてしまうわけです。

価値観の普遍化、倫理観の一定化。

犯罪もやがて、地域の影響を受けないように均一化されるかもしれません。そうして、人、個人に根ざす種の姿が露わになり、そのうち犯罪が引き起こされることすら許されない世の中になる、……などという妄想をしました。ビッグブラザーのドヤ顔が浮かんでくるようだ。

雨+散 少女性

 川端康成の『掌の小説』(新潮文庫)を読みながら感心する日々。

 やっぱりこの人ロリコンだわ(誉め言葉のつもり)

 少女の書き方って、人生観に繋がっていると思うんですよ。
 女ではなしに少女を書くということは、すなわちその作者が無性(むせい)に求める人間性を書くということです。

 少女はその性質として、完全な個体です。
 これは私の持論なんですけれども、人間性の表現というとなんか大層な言い方になりますが、関係性そのものが持つストーリー性というものが存在するんです。
 女には男がいないと成り立たないし、少年にも男がいないと成り立たない。どちらもそれ以外では、女である意味がなくなるし、少年である意味がなくなります。
 ちなみに男の場合は、男でも女でも、動物でも、とにかくなんかあれば成り立ちます。ただ、個体では難しい。
 必ずしもこの組み合わせでないとならないというわけではありませんが、まあ部首との組み合わせみたいなもので、これがしっくり来るパターンだなという考え。なんらかの性別には、なんらかの影が付きまとうわけです。それを、私は関係性が生みだすストーリーとして認識しているわけですが。

 で、少女の話に戻ります。
 少女はなんらかの関係性を必要とせず、それそのものがストーリー性として成り立ちます。
 少女が化粧していたとして、そこに男の影は必要ありません。同様に、少女があぜ道で蛙を探していたとしても、そこに男の影は必要ない。また、少女が働きに出たとしても同様に、親の影も、女も男も出てきません。これが少年なら、親の影が出てきたりしますが、まあさておきましょう。

 つまり、少女というものはそれそのものが物語としての性質を秘めているわけです。
 ではその物語がどのように形になるのかですが、これが最初に述べた無性に求める人間性に掛かってきます。
 無性というと、天使やロボット(アンドロイドのように性別がきっちり設定されていない、機械の要素が強いもの)やらが思い浮かびますが、実際のところ、私たちはもっと身近に無性的な存在を認識しています。

 いわゆる擬人化がそうですね。物は思考や心、性別もおそらくはないでしょうけれど、多くの人は、ボロボロになりながらも最後まで役目を果たそうとする無機物に対して感じ入ることがありますし、どういう気持ちになったのか、などと想像することがあります。
 それこそが無性に求める人間性というものでして、ある種、「こうであれば美しい(素晴らしい)かもしれない」という考えがそこにあるわけです。
 少女というものを書くとき、それが形として表れます。無性的なもの、もっと言えば人ではないものを人として見た場合、そういったものの器として少女が存在します。

 なにを美しいと思うか。それこそ、すなわち人生観です。
 少女=人生観は、その幻想性(想像の比率)が高ければ高いほど、その人自身に深く根ざしたものを掘り出すでしょう。

 川端康成は多くの作品を残していますが、私はとくに『眠れる美女』や『伊豆の踊り子』をオススメしたい。
 ここに『二次美少女の永遠』という答えがあると思います。
 川端康成が書く少女とは、終わりなき無垢の縫い止めであり、不可侵の処女性です。

 ロリコンといえば『ロリータ』のナボコフや『不思議の国のアリス』のルイス・キャロルなんかも触れたいですが、正直ナボコフはロリコンっぽくない。ただ、ルイス・キャロルはガチです。なにやら「ルイスキャロルはロリコンではなかった」というのが今の通説らしいですが、いやいや、なによりあの作品がすべてを示しています。彼は少女の美しさを芽吹きとして書くのが非常に上手い。膨らみかけの少女が大好きなんじゃないかな(いわれのないレッテルがルイス・キャロルを襲う!)
 あとは、『海の上の少女』のシュペルヴィエルなんかもいいですね。いや、作品が良いって話ですよ。


 少女を美しく書ける人はそれだけで偉大な作家になる素質があるんですよ。
 少女という、物語のキャラクターとして完全に確立した存在を書くことができるロリコンこそ素晴らしい作品を生みだせるんじゃないかな。ボカァ、そう思うね。

 ところで艦これの影響で最近はいままでより精神的に幼いタイプのロリ(睦月や卯月など)まで愛せるようになりました。やったね!
 いや、私は基本的にしっかりしたロリというか、口調や振る舞いが大人びているロリキャラが好みであることが多いんですけどね?
 睦月型を見ているとこう、言いようのない悪戯心がわいてくるわけですよ。まあ、いたって健全な意味ですけどね。あー、卯月と睦月と皐月に後ろから襲いかかりたい(健全な意味で)

 男女の恋愛よりも、少女の美しさ、少女への愛を書きつらねた作品が増えていってほしいものですね。ライトノベルにもそういうところを期待しているんですが、なかなかこういうものが無いのはちょっと残念。
 まあ、可愛いロリというのも好きなのは好きなんですけどね。
 というか、最近ロリキャララノベ少なすぎじゃありませんかね?
 ちょっと前まで小学生とか、一桁ヒロインとかあったような気がするんですけど。バトルとかスポーツとか抜きで、お気楽ファンタジー日常系でヒロインがロリキャラたくさんな作品でないかな。無理かな。無理か。


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