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なぜ制約は人を焦らせるか

 GA文庫の新人賞が今月末締め切りなので必死に書いています。正直間に合うかどうか微妙。間に合わなかったら八月末にまで別の作品も仕上げて、まとめて富士見に出しますけど。
 ちなみに来月は一般のほうの締め切りもあるのでそれも書く予定。最近、というか今年に入ってから自分でも驚くほど精力的に書いてます。中身が伴っているかはさておき。

 そんなわけで、ここのところ、めっちゃブログの投稿率が下がっていますが、べつに時間がないというわけではないんですよ。
 むしろ、ムダに過ごしている時間はわりとあるんです。昔読んだ本をだらだらと流し読んだり、ネットで妙な調べ物をしたり。
 ただ、そうやって無為に流れる時間の間も、なんだかんだで「早く書かなければ、早く仕上げなければ」と焦燥感に追われているので(実際、今月末までに完成するかどうかはかなりきわどい)、なかなかブログにまで手がつけられない。

 一日、最低でも○KBという制約を用いて書いていると、確かに作品の進みはよくなりますし、モチベーションに左右されずに量が安定するんですよね。しかし、その代わり、驚くほど他の時間を過ごせなくなる。書いていないときも次のシーンのことを考えたり、今書いているところまでに加えたほうが良い描写のことを考えたりと、とにかくそういうことにばかり意識が集中しています。
 そのせいでゲームができないどころか、本すらろくに読めやしません。

 まあ、たまたまそういう時期、周期が来ているだけなのかもしれませんが、今のところ書けることは書けても量が増えるばかりで質が伴っているのかどうか微妙です。
 いかんせん、投稿しても箸にも棒にもかかっていない状態ですからね。なにか足らないというか、発想が貧弱というか。それも、なんとなく掴めてきているような気がするんですがやっぱり気のせいな気もする。というか掴めたところで実践できるかどうかは別問題ですし。
 書けるうちは書いていこうかと思いますが、このモチベーションがいつまで続くのやら。
 まあ、そんな感じで、焦燥と怠惰の狭間でのたうち回っています。働きたくないでござる。
 書いている最中はかなり気分良く書けているので、これはこれで楽しいんですけどね。

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やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。7巻感想

 

※ネタバレ、引用注意!

 

 俺の話なんて本当にどうでもいい話で、本当にどうしようもない話だ。だから、そのことは話したくない。

 バッドエンド回避フラグ……でしょうか?
 どうしようもない、しかし話したくないとなるということは、八幡がどこかで期待を抱こうとし始めているように見えます。
 てか、この手の作品でバッドエンド一直線とかやられたら風呂場で叫びながら頭掻きむしるレベル。髪の毛の寿命がマッハだわ。

 6巻の時点で八幡が平塚先生、雪乃、結衣、葉山では手に負えない存在だとわかっていましたが、7巻では八幡と雪乃、八幡と結衣にわりと致命的な変化が起きます。まあ、これも八幡にとっては想定の範囲内でしょう。6巻の時点でこの辺りは触れていましたし。
 7巻は修学流行&奉仕部での恋愛相談。リア充グループである戸部からの相談で、同じくリア充グループの海老名に想いを伝えたいというもので、ここでえらく複雑な事態に巻きこまれます。が、おおむね八幡らしい行動を取っていると言えるでしょう。今回はその性質上、雪乃も結衣も奉仕部としてはほとんど出番がありませんでした。修学旅行としては仲良くやっていますが。

 7巻で大きく変化したのは葉山との関係と、八幡が自分自身を騙す為に嘘を必要としたことです。
 とくに決定的なのが、葉山に対する八幡の認識の変化です。これは正直、驚いた。こういう持っていき方をするものかと。
 6巻で八幡は葉山に対して『葉山、お前が目の前で誰かが傷つけられているのを見過ごせない男でよかった。誰かを傷つける人間を許せない奴でよかった。』と述べており、これは八幡が雪乃や結衣に抱いている憧れと同様の、理想の世界に在るべきものとして認識しているものでした。
 しかし、7巻では誰かを守る為に苦悩する葉山と

「君にだけは、頼りたくなかったのにな……」
 お互い様だよ、馬鹿野郎。

 というやり取りをします。
 葉山から見れば、八幡は進んで犠牲になることができる人間に見えています。八幡としては、自分を犠牲にしている、という意識はなく、ただ敗者としてやるべきことをやっているという認識しかない。彼は自己犠牲の精神なんて持ち合わせていません。そもそも八幡にとって彼自身は人数に入っていないわけですから。
 そして、八幡は事実上の葉山の敗北宣言に対して……いや、なんかよくわかりませんが同調しているとでもいうんでしょうか。君にだけは頼りたくなかった、という葉山の言葉にこの返答ですから、おそらく「お前にだけは頼られたくなかった」という意味だと思うんですが、そこに至る八幡の心情はやや不透明です。推測で言うなら、葉山という正しく良い奴である男が、自分のような人間に縋るようなところは見たくなかった、というところでしょうか。もっと強くあって欲しかった、という願望、理想。
 八幡は6巻で雪乃に理想を押しつけることは止めると宣言しましたが、それは葉山に対しては有効ではなかったのかもしれません。というか、たぶんあれは雪乃に対してだけなので、他の者に対して理想を押しつけることを完全に止めたというわけではないんでしょうね。

 そして自らを肯定して憚らない八幡がついた嘘。これは正直なところ、断言できる対象がないんですよね。そもそも何に対しての嘘かもわかりませんし。いくつか思い浮かぶものはあるんですがこれといった決定打が浮かびません。とりあえず羅列。

1,雪乃、結衣を失いたくがない為の嘘
 これだと動機はわかりやすいんですが、じゃあ何の嘘をついているのか、ってのがわからない。現状、八幡は雪乃、結衣に対して特別な感情を抱いているようには見えないので、彼が恋情を隠している、というわけでもなさそうですし。
 あり得るとすれば結衣の好意に気づいていない振りをしていることでしょうか。八幡は、結衣の好意、そして雪乃が以前よりも心を寄せていることにはっきり気づいているでしょうから、それを無視してあえて距離を取っていることに罪悪感のようなものを抱いており、それが嘘なのだと認識しているのかもしれません。好意をないがしろにされる辛さをしっている八幡だからこそ、そういう嘘をつかなければならないことを心苦しく感じているのかもしれません。

2、自分自身に対する嘘
 つまり、雪乃や結衣との関係性云々ではなく、もっと根本的な意味での嘘。
 奉仕部を通してこれまで築いてきた人間関係がすべて灰燼に帰すような、八幡自身の問題とでもいいましょうか。海老名の発言にあった『無理無理、ヒキタニくんはさ、そういうのわかるでしょ? だって、今の私が誰かと付き合ってもうまくいきっこないもん』は海老名が八幡を自分と同系統の人間だと見抜いた上で言ったことなのかもしれないという可能性です。
 その後、『そう、しょうがない。誰も理解できないし、理解されたくもない。だからうまく付き合っていけないの』と海老名の発言が続いており、これに対して八幡は理解を示します。海老名も八幡も、今は薄氷を渡るような気持ちでそれぞれ大切だと思える場所に立っているのだと、そういう意志の相互確認ですね。
 もしこの線だとすれば、6巻で別れを予感し、胸中で雪乃に別れを告げた言葉の通り、八幡はもうこれ以上は雪乃や結衣、戸塚や葉山、平塚先生と付き合っていけない、自分にはそれができないことを知っている、ということになります。それがわかっていながらも、気づかない振りをしている、という嘘。
 この場合、八幡と同じ場所には材木座しか残る気がしない。八幡と材木座って、コミュニケーションを必要とせずに、同じ場所にいるんですよね。似ているというわけではないんでしょうが、ある意味、切っても切れない仲と言える。
 ただ、海老名がそういった状況で出てくる可能性はあるかもしれません。今後海老名が八幡に対して特殊なアプローチを仕掛けてくることはもうないでしょうが、逆、つまり八幡が窮地に陥ったとき、雪乃や結衣、平塚先生では手が出せなくなったとき、海老名が八幡を手助けすることはあるかもしれないという希望。それこそかなり薄い可能性でしょうが。

3、雪乃、結衣の為の嘘。
 彼自身の為の嘘ではなく、雪乃や結衣の居場所を守る為のものです。
 6巻で八幡が相模を引きずり出したのは八幡が理想とする世界を守る為であり、同時に雪乃を守る為でした。
 その流れで言えば、今回の依頼は結衣の居場所を守る為でもあった、と言える。まあ、葉山や戸部の強い意志に感化されたとも言えるでしょうが。
 とくに、戸部に思うところがあったのかもしれません。つまり、結衣と戸部の姿を重ねて見たというか。海老名と戸部、そしてリア充グループの結末は、まさしく八幡と結衣、そして奉仕部の結末を暗示していたとでもいいましょうか。結衣がもし八幡に告白したなら、間違いなくこうなるだろう、と。海老名がそうするだろうと想像できたように、八幡もすべて捨てて、壊してしまうだろう的な。
 これだと、この章のタイトルである「彼と彼女の告白は誰にも届かない」が戸部と結衣であると想像できます。てか、ここで言う彼女ってのが誰のことかよくわからない。雪乃はありえませんし、あるとすれば三浦か海老名か結衣ですが、三浦はここに至るまで葉山にそういった明確なアプローチを仕掛けようという素振りはありませんでした。彼女もなんだかんだでいまのコミュニティを気に入っているので、そこに波風を立たせようとはしないでしょう。そのことで八幡に釘を刺しに来るぐらいですし。では海老名が葉山のことを、とも考えましたが、海老名と八幡のやり取りを見ると、この海老名が誰かのことを本気で好きになっているようにはまるで見えない。八幡と同じく、諦観しか持っていませんからね。消去法で結衣が残るので、戸部云々を抜きにしても結衣だろうな、となる程度。
 この線なら、結衣の居場所を守るのと同時に、自分をフェードアウトさせることで、雪乃と結衣の将来的な関係性を守ったと言える。
 つまり、リア充グループと奉仕部(※ただし八幡をのぞく)を同時に守ったんでしょう。
 八幡は雪乃と結衣が仲良くやっていることをとても好意的に見ており、二人がお互いに良い影響を及ぼして変わっていっていることをまぶしいものでも見るようにして眺めています。6巻でステージに上がっていた結衣と雪乃を見ていたときの心情からもそれは明らかです。もし自分が女だったら彼女達と友達になりたいと思っていただろう、とありえない仮定をどこかで独白していたように、彼女達がいる場所に自分は相応しくないと考えている節があります。今回の結末は、ある意味、ここで自分が切り離されることになってしまおう、という意志表示でもあったのかもしれません。
 だから、美辞麗句を使って自分の行動を正当化できたにも関わらず、それをしなかった。黙って雪乃と結衣の慟哭を受け入れた。
 てかむしろもう二人のあれは告白に近いですよね。八幡のことが大事だと、私達の手を取って欲しい、と全身で表してる。まあ八幡には意味がありませんし、不可能なことでしょうが。彼はそもそも彼女達と同じ場所にはいませんし。八幡は二人を見上げる立場にいるので、そこから手が届くわけがない。
 となると、8巻は奉仕部から八幡が消える展開になってもおかしくないでしょうね。もちろん、いきなり二人の前から姿を消すのではなくて、とりあえず顔を出して、とりあえずメールをして、話をして、普通に過ごして。にも関わらず、だんだんと疎遠になっていく。それを八幡は最後まで見届けるつもりなのかもしれません。というより、二人を見送るといった形でしょうか。そして二人がいなくなったら、何事もなかったかのように、今まで一人で過ごしてきた通りに、また毎日を過ごすんでしょう。それこそ、もうこうなったら平塚先生も八幡が手に負えない存在だったことを改めて実感せざるを得なくなるでしょう。
 八幡は誰を突き放すでもなく、誰から遠ざかるわけでもない。ただ、来るもの受け入れて、去るものを追わないだけ。それだけで、自然にいつも一人になってしまうわけですから。
 本当にそうなったらひでえ展開だな。


 嘘云々について長くなりましたが、7巻全体はとても面白かったです。相変わらず、八幡と平塚先生は良いコンビすぎる。八幡が奉仕部から離れてもこのコンビは続いて欲しい。まあ続くでしょうけど。
 ああ、それとラーメンを食べるところからホテルに帰るまでのシーンの雪乃がえらく可愛かったです。最高。メインヒロインの本領発揮っぽい展開でした。次の巻じゃ、たぶんかなり困ったことになるでしょうけど、がんばってほしいところ。
 どんな状況でも明るく楽しいぼっち、比企谷八幡には次巻でもかっ飛ばしてほしいですね。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。感想

 

 ※6巻までのネタバレをおおいに含みます。未読の方は注意。

 


 1巻から6巻まで一気に読みました。7巻も購入していますが、いろいろと書きたいことが出てきたので自分の考えをまとめるついでに一度感想を書いておきます。
 1巻、2巻、3巻は導入部分と言っていいぐらいで、二次コンテンツネタ多めの主人公の独特な語りを存分に楽しめるコメディパートと言っていいでしょう。

 比企谷八幡は友達と接することのない学校生活を送っていました。とある作文提出時、その内容に激昂した平塚静という先生の指導の下、その腐りきった性格を改善させる為、奉仕部という部活に強制参加させられることになります。そこには先人、部長である雪ノ下雪乃がいました。凛とした美しい少女、しかし八幡と同じくぼっち体質な少女。八幡と雪乃は二人で奉仕部を訪れる生徒の悩みを解決することになる、そんな感じに話が始まります。
 八幡とクラスメートでありながらそれまで交流のなかった、クラスカースト最上位のメンバーである由比ヶ浜結衣。
 なんとも可愛らしい容姿をしたテニス部員でありながら八幡のヒロイン候補筆頭(※だが男)、戸塚彩加。
 ライトノベル作家志望であり厨二病(邪気眼)、ぼっちにとって最悪の状況である体育の時間での「二人組を作れ」で八幡と窮地を共にしている材木座義輝。

 彼らとのやり取りを経て、ぼっちだった八幡、雪乃にとって奉仕部というものが独特のコミュニティとして成立しはじめていきます。決して仲睦まじくやっていけるようなものではなく、おそらく誰から羨まれるようなものでもありません。距離を詰め合ったりせず、彼らは細々と、繊細に同じ時間を過ごしていきます。

 八幡はひねくれていて、腐った魚のような目で自分以外のすべてを睨めつけながら生きています。しかし、周りからどう思われようと、自身がそうあることに肯定的で毎日を楽しく過ごしていることがよくわかります。
 だから鋭い内容のわりに気楽に読め、しかも面白い。ただ、最初から主人公独特の世界観、思想はすでに散りばめられていて、所々でそれを垣間見ることができます。
 私の印象で簡単にそれをまとめるなら、主人公、八幡は自意識に対して忠実であり、そして理想を捨てられないでいる少年です。彼は憧れ、期待し、夢見ているものがあり、しかしそんなものは叶わないのだと諦観している。それが奉仕部という活動を通して、特殊な形で復活の兆しをみせます。
 特殊な形というのは、それが自分には無理なことであっても、雪ノ下雪乃や由比ヶ浜結衣であれば可能なのではないか、という希望としてです。
 とくにそれがわかりやすく表されるのが2巻ラストでの結衣とのやり取り。


 だが、知っている。それが優しさだということを。俺に優しい人間はほかの人にも優しくて、そのことをつい忘れてしまいそうになる。

 自分のような存在にすら(八幡は卑屈な姿勢で他者と接しているので、胸中でこういった表現をする)向けられる優しさを美徳だと、素晴らしいものだと認めるのと同時に、しかし、それが八幡にとってはおそろしい毒でしかないと認識しています。つまり、そういった優しさがこの世界にあってくれたことを喜びながら、それは自分にはもう必要のないものだと言っています。
 それが、その後の『だから、いつまでも、優しい女の子は嫌いだ。』という言葉に繋がっています。
 八幡は彼が理想とする世界に、彼自身の姿を見ていないことがここでわかります。八幡の理想の世界には『優しい女の子』はいても、彼の姿がない。自分を計上しない理想の世界です。
 なぜ計上しないか、それは彼がすでに諦観しているからです。その世界にたどり着くことを自ら放棄してしまった。

 このことは6巻の結末にも大きく関わっているんですが、それはさておき、4巻と5巻について。
 4巻では夏休みに奉仕部とリア充グループをまじえて、小学生のレクリエーションを手伝うボランティアに出ることになります。そこで一人の女の子がグループから悪意によってのけ者にされているのを見つけた彼らは、それぞれのやり方で彼女を助けようとします。
 ここで、それぞれの考え方の決定的な差というものが出てくる。
 最終的に八幡が挙げた提案によって女の子に対する悪意を取りのぞくことができるわけですが、その内容が他者から批難されるようなものでした。助けたはずの女の子にまで八幡達は嫌われることになるような提案です。
 これに対して不満を見せたのはリア充グループの中心である葉山で、彼は『みんな仲良くやれたらいい』という考えを強くもっており、以前にもそのことで奉仕部に助けを求めたことがありました。当然、彼は今回の件でも女の子にもそうなって欲しいと願い、しっかりと話す機会を設けること、つまり女の子とそれをのけ者にする面々とでお互いに歩み寄れるようになって欲しいという考えのもと、そういった提案をしたわけですが、それは無理だと、雪ノ下や、リア充グループの海老名から駄目だしを食らいます。彼の提案はあまりにハードルが高いものだった。ただ話すだけ、ただ接するだけ、そんなことが出来ない子がいるのだと、それに対する無理解を露呈させるものでしかなかった。

 世界は変わらないが、自分は変えられる。なんてのは、結局そのくそったれのゴミみたいな冷淡で残酷な世界に順応して適応して負けを認めて隷属する行為だ。
 綺麗な言葉で飾って自分すら騙している欺瞞にすぎない。

 八幡はそう毒づいています。自分ではなく、世界が間違っていることもあるのだと。
 八幡はこれまで、リア充やありもしない『普通』や『みんな』に対して度々敵意を見せていましたが、ここではっきりと、彼にとっての敵は世界であると言いきっているんです。これが、作中、彼が度々口にする「働いたら負けだ」という言動を裏付けるものとなっています。
 この世界であり、その体制。それが認められない、認めたくない、だからこの世界に諦観している。
 だから、理想の世界を抱いている。夢見ている。憧れている。
 そこには雪乃や結衣、そして葉山というような、八幡がそれと認める正しい理想の姿があり、彼女達に強く憧れています。
 5巻では、その雪乃に対してこんな心情を抱いています。

 今まで自分のことを嫌いだと思ったことなんてない。
 ――中略――
 だが、初めて自分を嫌いになりそうだ。
 勝手に期待して勝手に理想を押しつけて勝手に理解した気になって、そして勝手に失望する。何度も何度も戒めたのに、それでも結局直っていない。

 ――雪ノ下雪乃ですら嘘をつく。
 そんなことは当たり前なのに、そのことを許容できない自分が、俺は嫌いだ。

 諦観して、何もかも受け入れ、それでも自分のことを肯定し続けてきた八幡が初めて自分に対する強い否定を見せる瞬間です。
 理想を求め、憧れ、そこに一点の穢れもあって欲しくない、そうずっと心の奥で願っていた自分のことをよく理解しており、そしてそれを雪乃にまで当てはめてしまわなければ気がすまない自分という人間、それそのものに対する憤りです。
 この辺りでもう、八幡という魅力的なキャラクターに完全にやられました。
 ここまでで、かなりその独特な強さ、立ち方には感服していたんですが、これには痺れずにはいられなかった。当たり前のことを許容できない自分が嫌い、こんな言葉がぽろっと出せるキャラはそういない。
 八幡という男は、一人で世界と戦っています。誰の手も借りず、誰の期待も受けず、誰の称賛も受けず。彼は疎まれ、黙殺されるような存在でしかない。彼が何と言おうと、世界の『普通』『みんな』『当たり前』に身を浸している人間は誰も気にしない。それでも、八幡は一人で立ち続けているんですよ。

 それが明確な形となって八幡に用意された舞台、それが6巻です。
 もう凄い。よくこんなのが書けるもんだと感動した。泣けるとか、笑えるとか、カタルシスがあるとかそういうものではありません。
 ただ単純に、ここまで読んでいればわかるであろう、当然の結末、当然の帰結。八幡ならそうするだろう、そうするほか無いだろうという結論。それに対して息が詰まる。言葉を失う。感動ではなく、ただただ純粋な納得。最後のパズルのピースをはめ込み、一つの答えが出来上がった瞬間です。
 6巻では、八幡が誰の手にも負えていなかったキャラだということが、はっきりわかります。
 1巻で平塚先生は八幡を奉仕部に入れました。それは悪意では決してなくて、平塚先生は彼女なりに八幡のことを案じていたんです。そして2巻から5巻まで、彼女は明確に、八幡に変革を与えようと、良い道を示そうと、時には叱り、時には手助けし、彼に場所と仕事を与えてきました。
 しかし、そんな平塚先生の思惑を大きく、それも悪いほうに大きく超えて八幡は一つの結論を出します。そのことについて、彼女はこう言いました。

「比企谷。誰かを助けることは、君自身が傷ついていい理由にはならないよ」
――中略――
「……たとえ、君が痛みに慣れているのだとしてもだ。君が傷つくのを見て、傷ましく思う人間もいることにそろそろ気づくべきだ、君は」

 道理のよくわかった、とても良い大人の意見です。平塚先生は以前にも八幡に対して「いま許せないことも、いつか許せるときが来る」という発言をしています。
 彼はきっと変われる、受け入れられる、そう信じているんです。八幡の優しさ、強さを信じているといってもいいでしょう。それほどに彼女は八幡のよき理解者であり、おそらく作中でもっとも的確な言葉を彼に伝えられている存在です。さすが年の功。

 しかし、そんな言葉すらもう八幡の中ではとっくに消化されているものにしか過ぎない。平塚先生の言葉よりも前に、とある場面で八幡のこんな心情が書かれています。

 ほら、簡単だろ。――誰も傷つかない世界の完成だ。
 ――中略――
 けれど、俺だって、いつかは変わるのだと思う。
 必ずいつか変わる。変えられてしまう。
 俺自身の心はどうあれ、その見られ方、捉えられ方、評価のされ方はきっと変わる。
 万物が流転し世界が変わり続けるなら、周囲が、環境が、評価軸そのものが歪み、変わり、俺の在り方は変えられてしまう。
 だから。
 ――だから俺は変わらない。

 八幡は、世界に自分の存在を計上していない。そのことを改めて確認することができ、そして、彼がどれほど変化というものを知り、認め、遠ざけているのかよくわかる部分です。これの後に平塚先生のあの言葉なわけですから、読んでいてこれほど切なくなったのは正直ひさしぶりでした。
 要するに、八幡が奉仕部に入ったのは、まったくの間違いだったとなってしまう、それを予感してしまったわけです。今回は、ただの文化祭でしかなく、彼は見事、彼自身の手腕で問題を解決してみせました。しかし、いずれ彼の手にも負えない事態が訪れることを、どこか予感させる文章だと思わずにはいられません。そのときが来たとき、平塚先生は八幡を奉仕部に入れるべきではなかったと後悔するんじゃないかと、そう想像せずにはいられませんでした。そして、そのとき、もう八幡に平塚先生の言葉は届かなくなっているでしょう。

 さらに、雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣とのやり取りの中でも、進展があります。悪い方向に。


「でも、待っててもどうしようもない人は待たない」
――中略――
「違うよ。待たないで、……こっちから行くの」

 結衣の、もはや告白と言っていいほどの言葉です。これに対して、八幡は『今度は間違えたくないのだ』と考える。
 そして、雪乃に対しては、

「私も、ああなりたいと思っていたから」
――中略――
「……ならなくていいだろ。そのままで」

 スポットライトを一身に浴びる姉の姿を見て話す雪乃に、八幡はそのままでいて欲しいと言う。
 つまり、八幡はぼっちで、雪乃や結衣は自分にとって遠い存在だと認識していながら、奉仕部の一員として二人と一緒に過ごしていたい、そう考えるようになっていることがここでわかります。むしろ、考えるようになってしまった、というべきかもしれません。それは八幡にとって起こって良かった変化ではありません。
 6巻最後で、八幡は雪乃とのやり取りの中で結論を出します。

 だが、その言葉を聞き流したりはできない。理想を押しつけまいと決めたのだ。俺も雪ノ下もその呪縛から解き放たれていい頃だと思う。
「いや別に嘘ついてもいいぞ。俺もよくついている」

 これは5巻で出てきた雪乃への憧れと八幡自身の葛藤に対する決着です。もっと有り体に言うなら、奉仕部、ひいては雪乃への別れの言葉でしょう。もうここまでだと、そう彼は結論づけたわけです。
 今度は間違えたくない、変わらないで欲しい。それぞれ結衣、雪乃に願ったことをここで取り下げた。訪れであろう変化、訪れるであろう別れ、それに対する言葉をもうここで告げてしまったんでしょう。
 しかし、雪乃はこれに新しい答えを返します。「……でも、今はあなたを知っている」と。
 この言葉の意味は6巻をある程度読んでいないとわかりませんが、つまり、ここから新しい関係を作りましょう、というような意味で良いと思います。雪乃は八幡と違って、八幡や結衣と関わったことで変化し、それをぎこちなく受け入れています。それを表現しているような発言です。1巻でのやり取りとの対比にもなっており、また八幡、雪乃、結衣のファーストコンタクトでもある、とある出来事の精算でもありますね。

 もっとも、八幡はそれを受け入れながらも、最後の最後で別れを予感しているわけですが。
 八幡にとってはそれがどんなものであれ、結論は変わらないわけです。八幡は『比企谷八幡の物語』をすでに読み終えているんでしょう。

 長々と書きましたが、こんな感じに、とにかく八幡最高としか言いようがない作品です。無論、ヒロイン(八幡とくっつくかはさておき)も非常に可愛く、メインストーリーに関わってくるキャラクターのいずれも魅力的で、読んでいてとにかく飽きません。
 ただ、ここまで書いた通り、ところどころで悲劇的な様相を垣間見せるところが多く、すこし今後の展開が不安な気がしないでもない。あらゆるキャラクターが最終的に主人公の側から離れていくんじゃないか、的な。まあ、さすがにそんな結末だと残念すぎるのでハッピーエンドを期待したいですが、どうなることやら。


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