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屋根裏部屋に天体望遠鏡


 よくあるシチュエーションっぽく思えるのに、いざ文字化して現実感と照らし合わせてみると違和感があふれ出るパターンです。カーテンの隙間から外を覗くとか、学校の屋上でお昼とか。
 まあ、言ってしまえば、物語の中で生まれた普遍的なシチュエーションだということなんでしょうが。それだけ、人の目と耳に物語が触れることが多いのは間違いないですね。童話や昔話に限らず、話題になったドラマや小説の粗筋程度ならわかる、といった人も少なくないでしょうし。

 そんな中で問題になる、リアリティの在処。
 単純に、多くの人が知る要素をふんだんに使う=リアリティの充実なんですよね。多くのフィクションで使われる要素もそうですし、人物の口調や性格、多くの人が経験する事件(犯罪に限らない意味。例としては恋愛など)でとくに多発するもの、そういったものがリアリティを持っているということになるんですよね。
 現実、とくに自分の経験を書いてもリアリティに恵まれないというのは、つまり自分の経験=普遍的でないもの、に過ぎないという。逆に、読み手が普遍的でない経験や思考を持っているという考え方もできますが、多くの読み手は公共に向ける発言をしないので、関係ないといえばないです。自分の中で、リアリティの有無を感じ取るだけでお終いですから。


 さて、ここから話を少し変えますが、人の感性の基礎を成り立たせるものについてです。
 喜怒哀楽というのも大半は普遍的なもので、だいたいはパターンがありますよね。もちろん、民族、というか国や文化によって違いはありますが、こういうことがあると嬉しい、悲しい、といったものですね。言ってしまえば、お金をもらえれば嬉しい、お金がなくなったら悲しい、など。いや極端な例ですが。

 そして、問題なのは、この、なにが起こればどういう気持ちを抱くのかなんですよ。一番わかりやすい例を挙げると、生死や恋ですね。
 身近に人間が大病や事故から生還したら、もしくは死んだら。長く抱き続けた恋が実ったら、もしくは破れたら。どれも、要素としてかなり大きな部類です。
 このような事柄が起きたとき、どうなるか、どう思うか。リアリティの在処と同じ構造が、ここに絡んできます。
 これもつまり、大半であるかどうかが問題です。その事柄に対してどういった反応をとることが普遍的なのかということの学習から、感性は生まれているんですよ。歳月を重ねることで複雑化していきますが、

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「いいや、奴は勇敢過ぎたのさ。そうでなければ、『今日って何かの記念日だっけ?』なんて口にできなかっただろうよ」



 天の原 ふりさけ見れば 春日なる
 三笠の山に 出でし月かも

   ──安部仲麿


 なんとはなしに百人一首の解釈本を買ってしまったので、適当にめくってみたんですよ。そうしたら、恥ずべきことだとは思いますが、一部の作者の名前と、特に有名な歌ぐらいしかわからないんですよね。しかも作者に関してはほとんど歴史での浅い知識程度。
 まあ、とりあえずそのことはさておきまして、歌。覚えている歌と言えるものも、せいぜい丸覚えするようなことしかしてないので、解釈を見ると意外な新鮮さを覚えるんですよ。
 作者の背景や、歌そのものでは語られていない部分の解釈など。いや、後者はとくにいわゆる行間を読むということでもありますから、文章を読み取ろうするときには当然必要なものだとは思いますが、つい失念してたんですよね。
 どうも、百人一首といえば、上の句を読み終える前に、振袖姿の美少女がお淑やかに手を伸ばして「とったァァぁあ!!!」という印象がありますから(そんな場面には一度足りとも出くわしたことがありません)
 うーん、それまで持っていた印象が覆った瞬間に得る感覚、なんていうんですかね、共鳴というか同調というか。
 とにかく、そういったものを目の当たりにして、私は思ったんですよ。

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乙女ケーキ──その痛みと傷を、心の奥まで縫い込める。



乙女ケーキ/著者:タカハシマコ/出版:一迅社


 情感を呼び起こす場面を丁寧に飾り付けていったものが、この乙女ケーキです。ありふれた、しかし、どこかを掛け違えた少女たちの揺らぎは、彼女たちの気高さを通してゆっくりと伝わってきます。主にガチ百合として(微妙に願望と曲解が入っていないこともない)

 この乙女ケーキは短編集なんですが、共通して、一口では味わいきれない感情を喉に詰まらせながらも、必死に声を揚げようとしている少女が出てきます。
 気高さ、と最初にそう書きましたが、ある意味で、とても弱々しいものでもあるんですよ。使い回された言葉を借りるなら、触れれば壊れてしまいそうな、とでも言いましょうか。
 飲み込んでしまえばいつか消えてなくなるかもしれないのに、あるいは、吐きだしてしまえば望むものを得られるかもしれないのに、形のない喪失と結末に恐怖心を煽られて震え上がる。
 過渡期にありがちな、そんな立ちすくみを、少女たちはどう受け止めていくか。



 超オススメ。百合なんてキョーミねーよ、という方もぜひ一読、いや二回か三回は読んでみたら良いですよ。そして、その物語の中にどんな感情を見出だすのか、知っておいた方が良いです。きっと、稀有な体験ができると思います。

七夕(一粒で二度お得! ただし現金払のみ)



「それはある春の休日のことだった。ショッピングモールの入口で、淡い黒髪をした年の頃は十六七の美少女が笑顔を振りまいていた。彼女の手には、カップルを対象に配られるワンホールのチーズケーキ」
「……微笑ましくはあるけど、あんた私の誘い断ってなにしてんのよ。というか自分で美少女なんて言うのやめなさいよ。なに、バイトでも始めたの?」
「──型爆弾」
「地獄絵図がっ! 悲鳴が聞こえるぅッ!!」


 らき☆すたを見てたら何となく浮かんだ。とくに反省はしていない。ちなみに画的には前者がつかさ、後者はかがみのような。髪型とか顔とか。
 それにしてもやっぱり、双子はバリュエーションが豊かで良いですね。片側をどんな性格にしても、もう片側が勝手にそれを補う形になるんですよ、イメージで。

 リトルバスターズ発売しましたねーと言いますか、既に「棗鈴は俺の嫁」とかなり声高に叫んでる方もいらっしゃるようで、すっかり乗り遅れた感があります。まあ買ってないんですが。いや、お恥ずかしい話になりますが、DVDドライブとの関係が良好ではなくてですね。今や、「リリカルマジカルパステルいんくっ」「……すこし、頭増やそうか」と言い合っている状態です。新聞の人生相談の欄にいつ投書しようかと迷ってます。

 ところで先日、私たちは今こそ立ち上がり自らの手で社会を変えていかねばならないのだ! と言った覚えがまったくありませんが、もしかすると今の私の記憶は私を陥れようとする何者かが作り上げた記憶に過ぎないかもしれないので、記憶を取り戻すために、唯一の取っ掛かりであるチーズケーキ型爆弾を求めて旅にでるかもしれません。
 そのときは、夢が終わりを迎えないよう、タマゴは決して孵さないでください。楽器をぜんぶ集めてからオカリナを吹いたりは、ぜったいにしないでください。

ネコとイグアナの饗宴



 だって、ネコってしっぽが再生しなかったトカゲでしょう?(冥王星(太陽系に非ず)のルノアードさん家の長男談)

 妖怪といえばほとんどの方が真っ先に雪少女──雪女をいろんな意味でマイナス方面にアレンジしたバージョン──を思い浮かべるでしょうけど(それはない)、妖怪そのものに対するイメージって、実際どんなものなんでしょうね。妖怪を題材、もしくは世界観に用いた小説や漫画は結構あると思いますが、やはり、そういったものの影響を受けるものなんでしょうか。

 たとえば、私なんかは、カラスがなかなか嫌いになれなかったりするわけですが(べつの話)、UMOは嫌いです。チュパカブラと鈍器で殴り合いする青春ドラマの一幕や、ビッグフットを崖から突き落とす本格ミステリー劇の脚本、あと、とある店のイケメン+DV大好きなホストの彼に恋するあまり、その面映ゆさから尻尾を振り回して都市を壊滅させるネッシーの話とか。こんなことしかできないUMOには、まったくもって夢がない。

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